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何だか突然言葉が降ってきて、もしくはある物語の断片が浮かんできて、
それは街角でふと聞いたメロディが自分の耳に残っていたものだったり、 ある場所へ行ったら何故か記憶の中の懐かしい匂いがしたり、 そんな不思議で超宇宙的な現象に似た、瞬間。 天から羽根が舞い降りてくるような感覚、神はいると信じられる唯一の刻。 もしくは、冷たく澄んだ水が湧いてきて、自分のなかにある泉の存在に気づいたりする。 ああ、そんなふうなことがあるから、 私は、言葉が意思を持ち、物語とは初めからそこに在るものなのだと、 思わずにはいられないのです。 羽根も、水も、それは言葉。 しかし、天と、泉は、人格を持った存在。 物語の紡ぎ手、と云う名の。 物語とは、見出すもの。 光のなか、音の流れ、地面の下、匂いの狭間、触れたものの質感。 私たちの中で何かが重なったような、空気を介さない振動。 物語の存在は、それによって私たちに知らされる。 それは言葉に変換され、わずかな断片となって、 私たちの脳内に現れる。 初めは数文字の断章、それを道標にして、 既に紡がれている物語を、私たちは己の中で、言葉にする。 それはとても困難な作業。 己の語彙、母国語の特性、人生の経験、過去の体験、浮かんだ心象、感性の全てを使い、 そして言葉に対する最高の敬意と文学への情熱を捧げなければ、 物語は紡げない。 けれども言葉の意味に至忠であってはならない。 言葉とは我々を支配する。名付けた瞬間、それはそれになるから。 知識と、己の経験。その両方があって成り立つ意味で、言葉を捉えなければならない。 思い入れ、譲れないもの。自分の感性と人生の内で得たもの全てを信じて、 言葉で繋いでゆく。 自分の物語を、紡いでゆく。 そうして完結した物語が、必ずしも、 名声を得られるとは限らない。己の財布を肥やす収入になるとは限らない。 でもそんなこと、本当に物語を書きたがった人にとっては、全く以て重要ではない。 誰か一人でも、感動させることができれば、 いついつかになるか分からない、遠い未来、自分が死んだ後、 著者名さえ忘却の彼方に置き去りにされた遥か時間の先になるかもしれない、 それでも、 誰かの心に、 自分が真心込めて言葉で繋ぎ、愛を持って紡いだ物語の、 真意が届けば───── それでよいのです。流行歌のような娯楽のためだけの小話を書いてもてはやされ、金で自分の書いた物が買ってもらえても、自分がその物語を紡ぐことに歓びを見出せていなかったのなら、ちっとも嬉しくない。どんなに売れ行きが伸び、賞など得たとしても、自分がその本を愛していなければ、書き手は、幸福ではない。 物語の書き手にとって、幸福とは。 自分が心を込めて書いた物語が、誰か一人にでも愛してもらえれば。 どんな金欠のどん底でも、いっさいの名誉を得られなくても、酷薄な逆境に立とうと。 本望なのです。それこそが書き手の幸福。最高の人生。 なのではないでしょうかね? ずっと思ってたことなんですけど、今ひとつ言葉にするのが難しい、私の小説持論です。 持論ですから、参考程度にもならないでしょうが。 書くことが純粋に好きだ! と言う方には、一部分でも理解して頂けるのではないでしょうか。 ジャンル『小説・文学』内で、テーマを探すのに骨が折れました。 『物書きのひとりごと』というのが最低限合っているような気がして、これにテーマを決めましたが、今ひとつ気に入らないのです。『ひとりごと』なんて、『物書き』が発表するものじゃない、と思うのですよね。書き手がすべきはただ『創作』で、『雑記』など発表する場を「本物」は持たない。「本物」は、伝える相手のことを考えて、書く。自分が何を伝えたいか、思想を、気持ちを、持っている。だから、『ひとりごと』なんてものは人前には曝さないはずなのですけどね。 自己満足で書いて、物書きや小説家を名乗る人間は、「本物」ではない。 まぁ、所詮ネット上の、己を吐き出すためのブログですから、自由だとは思います。 けれども、ブログ如きに吐き出した行の羅列を、言葉遊びの結果を、劣化贋作たちを、 「物語」と呼び、「自分の作品」と自負し、己を「小説家」と呼ぶならば、 それは間違いです。今は間違いと思わず、己の全てだとしても、 感情と時間を傾ける貴重な趣味だとしても、 間違いですから、いつかは気づいて、止めるのです。 所詮趣味だったと言って、飽きた玩具を捨てるのです。 いつかそうなるであろうという人は、ネット上で多数見かけます。 創作を捨てるのは未来のことですから、個人個人で断定はできませんが。 本当に書くことが好きな人は、作品を人に読んでほしいと思っている人は、 いつまでも書き続けることができるでしょう。良い作品を生むことができるでしょう。 細々とでも続けていくか、 書くことができない環境になっても物語に対する情熱を持ち続け、 そういう人は、いつか本当の物語を書くことができるのです。 私はそう信じています。 文学も歴史のように、後世から見ないと何がその時代を象徴する作品で 何が最高の文学かなど、分からないものです。 評価も時代や国や人によってまちまちですし。 けれども、時を越えて、愛される物語こそ、 そんな物語を書いた、愛すべき書き手こそ、 「本物」だと思うのです。 「偽物」たちが悪いとは思いませんし、彼らに罪があるわけではないのです。 言葉と少しでも親しんでいるのですから、そうでない人よりは全然愛着が持てます。 けれども、そこで奢ったりしたら、終わりなのです。 自分の利己や自尊心や虚栄心、そういったものは大いに創作の妨げになります。 その時点で、彼は書く資格を失っているのです。 私も以前は、酷いものでした。大きな過ちでした。 才能など、無いのです。 物語を紡ぐのに、能力など、一切関係ないのです。 それに気づいたとき、私はとても恥ずかしかったのです。 後悔しました。忘れたいとも思いましたが、 それは、書き手でありたいと願う以上、赦されないと思いました。 後悔は無駄だが、反省は価値のあるもの。 失敗から学ぶこと。それができる人間に。 本当に小説や、詩や、文学が好きな人には、 気づいて頂きたいです。そして、このすばらしい世界を 生きてほしいと思います。 私は小説を書きます。ただ書きたいから書きます。 いつまでも書いていきたいと思います。 私の最高の人生です。 |
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こんばんは。
言葉を素敵に使える方がとても羨ましいです。 私は自分の思いが上手く言えず・書けずで……。 今だって、もっと伝えたい事があるんですが、上手く表現できません。 写真といい、文章といい、とても癒されます ![]() Re: こんばんは。
ありがとうございます!! とても光栄です。 > 私は自分の思いが上手く言えず・書けずで……。 とんでも…! 貴殿のブログを拝見させて頂きましたが、写真・文章ともに素直でかわいらしいものばかり。きらびやかで羨ましいです** ぴん栗さんにまた寛いで頂けるように、葵傾は撮って載せて、より素敵なブログを作っていきたいと思います。またお越し下さい。 |
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